尽くしすぎる女の特徴と自分にも「してあげたい」を向ける話(恋愛じゃない話)

テーブルの上の野花の花束を持った左手とお茶を描いた水彩イラスト。「してあげたい」は恩着せがましい?というテキストが入っている こころの種
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この記事を読んでいる方は、「人に尽くしすぎる自覚がある」から、調べていると思いますが、それは誰に対してでしょうか?

恋人に対して尽くしすぎてしまうという話をたまに聞きますが、今回のお話は恋人相手ではなく、人間関係全般において「尽くしすぎる女(ひと)」の話です。

「断れない」

「気づけば自分が疲れている」

「また自分ばかり動いてしまった」

「してあげたい」という気持ちは悪いものじゃないけど、「してあげた」後に後悔したり空っぽになってしまうこと、ありませんか?

もしそうなら、少し立ち止まって考えてほしいことがあります。

困るおタネ
困るおタネ

断ったらよかったのに…なんで引き受けたんだろうって、後で落ち込むんだよね

この記事でわかること
  • 尽くしすぎる女性に当てはまる特徴・心理
  • 「してあげたい」という気持ちが悪くない理由
  • 自分を削らずに誰かを大切にする考え方

尽くしすぎる女の特徴、当てはまる?

開いたノートとペン・野花の水彩イラスト

正直に言うと、私はいくつも当てはまります。

  • 頼まれると断れない
  • 相手が困っていると「私がしなくちゃ」と思って動いてしまう
  • 自分の都合より相手の都合を優先してしまう
  • 相手の表情や声のトーンがやたら気になる
  • 後でしんどくなるのにその場では「まあ、いいか」と引き受ける
  • 気づいたら自分のことは後回しになっている

リストにしてみると、なんとも「お人好し」だな…。

尽くしすぎる女性に共通するのは、相手の気持ちへの敏感さと、自己犠牲への慣れだと思います。

「これくらいなら」「私が我慢すれば」——そういう言葉が口癖になっていたりしませんか?

おタネ
おタネ

6個中4個当てはまった私が言うんだから、間違いないです。(笑えない)


「してあげたい」は、おごりじゃない

木製テーブルに横たわる、白とピンクの小花を麻紐で束ねた野草の花束の水彩イラスト。誰かに贈るような雰囲気で、花びらが周囲にやわらかく散っている

ずっと、心のどこかに引っかかっていた言葉がある。

「『してあげる』って言い方、恩着せがましいよね。」

言われたのはもう何年も前のことなのに、誰かのために何かしてあげたいと思うたびに、この言葉がふっと浮かんでくる。

個人の考えを言うと、「してあげたい」という気持ちは、恩着せがましさとは全く別のものだと思っている。

ほんとうに恩着せがましい人は、「してあげた」あとに見返りを求める。感謝されて当然、という態度が顔に書いてあるタイプの人だ。

でも「してあげたい」って思う気持ちは、そもそも相手を想うところから始まっている。

「力になりたい」「助けになりたい」というただそれだけのことで、そこには上下関係も見返りへの期待もない。

言葉にあるトーンや温度、どんな表情でどんな気持ちで発したのか、そういうもの全部ひっくるめてひとつの言葉となっているんじゃないかな、と。

だから、恩着せがましさじゃなくて、素直に優しさとして受け取ってほしいと思うのだ。

「してあげる」も同じで、冷たく言えば上から目線かもしれないけれど、あたたかい気持ちで言えば、それはただただ純粋な優しさだと思う。


でも、自分がカラになっていく

倒れている空になったティーカップと花びらの水彩イラスト

問題は、その「してあげたい」が強すぎると、気づかないうちに自分のことが後回しになること。

私はもともと、人が困っていると「自分がなんとかしてあげたい」と動こうとしてしまうタチだ。いわゆる、お節介な長女気質というやつかもしれない。(実際は末っ子なんだけど。)


職場で頑張っている後輩(社員)が人手不足で大変そうだと思って、自分の休みを何度か返上してシフトに入ったことがあった。

でも、あまりにそれが重なったある日。ふと我に返った。

あれ、ちょっと待って。

そもそも自分の都合で働きたいから業務委託を選んでいるのに、どうして会社の都合で私が休みを削って無理をしているんだろうか。

(正直なことをいうと、頭の片隅で都合のいい計算もしていた。シフトが増えれば収入も増える可能性が増える。シングルマザーとして生活のためにはよかったんじゃないか、って。でもそれは「収入が増える」であって「自分が満たされる」じゃない。全然、違う話だ。)

なんだかおかしくないか?

そう思い至って、勇気を出して後輩からの出勤依頼を断ってみた。すると彼女は、電話口でポツリとこうこぼしたのだ。

「マネージャーに相談しても、結局私が出勤してカバーするしかなくなるんです」

困るおタネ
困るおタネ

それってやっぱり私に出勤してってこと?

責められているように感じて一瞬身構えた。「社員がカバーするのは当然じゃないん?」なんて、心の中で毒づきもしていた。

けれど、彼女の声のトーンをよく聞いていたら…どうやら違う。

私を責めているんじゃない。ただの、SOSだった。

「上の人に何を言っても、結局私ばかりが無理をするしかない。しんどい」

——そういう、いっぱいいっぱいの心の悲鳴だったんだと、ハッと気づいた。

これまではシフトを埋めることが自分にできることだと思っていたけど、後輩はシフトを埋めることもそうだけど、自分がしんどいということをわかってほしくて毎度私にシフトの相談をしてきたのかもしれない。

自分が意を決して(大げさではなく)断ったことで、初めて相手の言葉の奥が見えた。自分がしんどい思いを我慢したまま動き続けていたら、この声には気づけなかったかもしれない。

そう思いながら、だからって我慢して続けていたら、きっと、いつのまにかやさしさから自己犠牲にすり替わってしまうのだ。自分の身を削り続けるやさしさは、絶対に長続きしない。


「してあげたい」を、自分にも向けてみる

手書きの手紙と野花の水彩イラスト

この一件があって、気をつけていることがある。

「してあげたい」というベクトルを、まずは自分自身に向けてあげること。

自分が休む。

自分を甘やかす。

自分が好きなものを食べる。

自分がやりたいことを優先する日をつくる。

まずはそれが満たされてこそだと、最近ようやく思うようになった。

人を思う気持ちは、もちろん大切だと思う。でも、自分自身が満たされていないと、結局誰かにやさしさを渡すことなんてできない。自分をすり減らしながら人を支えることなんてできないし、健全じゃないのだ。

これまでは、後輩のメンタルが心配だから、今日は出勤したほうがいいかな…。と思うことが度々あったけど、いざ我慢してまで出勤することを断ってもなにも変わらなかった。

後輩から出勤依頼の連絡はなくなったけど、私が入らない部分は別の人で埋めているようだし、私の我慢は絶対不可欠なことじゃないということが身に染みて分かった。(そりゃそうだ)

物事を必要以上に自分の責任と捉えてしまうのはやめて、まず自分を満たしていて余力があることが、誰かへのやさしさを長く続けるための条件だと思っている。


あなたの「してあげたい」は、ちゃんとあたたかい

誰かのために丁寧に包んだクラフト紙の小箱と白い小花の水彩イラスト。木製テーブルに麻紐のリボンとクラフトタグが添えられた贈り物

尽くしすぎる女の特徴、いくつか当てはまりましたか。

もし当てはまったとしても、その気持ちを責めなくていいんです。

「してあげたい」と思える人は、それだけ優しい人だから、自分を大切にすることと誰かを大切にすること、どちらかを選ぶ必要はありません。

ただ、その優しさを自分に向けることは絶対必要で、自分が満たされてこそ誰かへの優しさが本物になるということは忘れちゃいけないと思います。

言葉の選び方じゃなくて、その言葉を包んでいる気持ちの温度が、相手にはちゃんと伝わっていくはずです。

「種をまかなきゃ、始まらない。今日の一歩が、明日の芽。」という言葉と双葉の水彩イラスト
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