尽くしすぎる女の特徴と自分にも「してあげたい」を向ける話(恋愛じゃない話)

朝の窓辺、やわらかな光の中にある向かい合う2つのティーカップと手書きのメモ。 こころの種
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この記事でわかること
  • 尽くしすぎる女性に当てはまる特徴・心理
  • 「してあげたい」という気持ちが悪くない理由
  • 自分を削らずに誰かを大切にする考え方

「人に尽くしすぎる」

「断れない」

「気づけば自分が疲れている」

こんな自覚がある人に、今日は少し話を聞いてほしいと思います。

「尽くしすぎる女の特徴」と調べているということは、うっすら自覚があるんだと思います。

「また自分ばかり動いてしまった」

「断ったらよかったのに、なんで引き受けたんだろう」

「してあげたい」という気持ちは悪いものじゃないし、「だから尽くすのをやめよう」という話じゃない。ただ、「してあげたい」と思ったことで後悔がある人に読んでもらいたい。


尽くしすぎる女の特徴、当てはまる?

正直に言うと、私も当てはまることがいくつかある。(結構ある)

  • 頼まれると断れない
  • 相手が困っているとすぐに動いてしまう
  • 自分の都合より相手の都合を優先してしまう
  • 相手の表情や声のトーンがやたら気になる
  • 後でしんどくなっても「まあいいか」と引き受ける
  • 気づいたら自分のことは後回しになっている

リストにしてみると、なんとも「お人好し」だな、と自分でも思う。

尽くしすぎる女性に共通するのは、相手の気持ちへの敏感さと、自己犠牲への慣れだと思っている。「これくらいなら」「私が我慢すれば」——そういう言葉が口癖になっていたりしないだろうか。

おタネ
おタネ

6個中5個当てはまった私が言うんだから、間違いないです。(笑えない)


「してあげたい」は、おごりじゃない

ずっと、心のどこかに引っかかっていた言葉がある。

「『してあげる』って言い方、恩着せがましいよね」

言われたのはもう何年も前のことなのに。誰かのために何かしたいと思うたびに、呪いみたいにこの言葉がふっと浮かんでくる。

結論から言うと、「してあげたい」という気持ちは、恩着せがましさとは全く別のものだと思っている。

ほんとうに恩着せがましい人は、「してあげた」あとに見返りを求める。感謝されて当然、という態度が顔に書いてあるタイプの人だ。

でも「してあげたい」って思う気持ちは、そもそも相手を想うところから始まっている。「力になりたい」「支えになりたい」という、ただそれだけ。そこに上下関係も、見返りへの期待もない。

だとしたら。それは恩着せがましさなんかじゃなくて、やさしさそのものじゃないだろうか。

言葉にはトーンがある。温度がある。どんな表情で、どんな気持ちで発したか——そういうものが全部ひっくるめて、ひとつの言葉になる。「してあげる」も同じで、冷たく言えば上から目線かもしれないけれど、あたたかい気持ちで言えば、それはただただ純粋な優しさだと思う。


でも、自分がカラになっていく

問題は、その「してあげたい」が強すぎると、気づかないうちに自分のことが後回しになること。

私はもともと、人が困っていると「なんとかしてあげたい」と動こうとしてしまうタチだ。いわゆる、お節介な長女気質というやつかもしれない。(実際は末っ子なんだけど。)


職場で頑張っている後輩(社員)が人手不足で大変そうだと思って、自分の休みを何度か返上してシフトに入ったことがあった。

でも、あまりにそれが重なったある日。ふと我に返った。

あれ、ちょっと待って。

(正直なことをいうと、頭の片隅で都合のいい計算もしていた。シングルマザーとして、シフトが増えれば収入も増える。生活のためにはよかったんじゃないか、って。でもそれは「収入が増える」であって「自分が満たされる」じゃない。全然、違う話だった。)

そもそも自分の都合で働きたいから業務委託を選んでいるのに、どうして会社の都合で私が休みを削って無理をしているんだろうか。

なんだかおかしくないか?

そう思い至って、勇気を出して後輩からの出勤依頼を断ってみた。すると彼女は、電話口でポツリとこうこぼしたのだ。

「マネージャーに相談しても、結局私が出勤してカバーするしかなくなるんです」

おタネ 困り顔
おタネ 困り顔

それってやっぱり私に出勤してってこと?

責められているように感じて一瞬身構えた。「社員がカバーするのは当然じゃないん?」なんて、心の中で毒づきもしていた。

けれど、彼女の声のトーンをよく聞いていたら…どうやら違う。

私を責めているんじゃない。ただの、SOSだった。

「上の人に何を言っても、結局私ばかりが無理をするしかない。しんどい」

——そういう、いっぱいいっぱいの心の悲鳴だったんだと、ハッと気づいた。

これまではシフトを埋めることが自分にできることだと思っていたけど、後輩はシフトを埋めることもそうだけど、自分がしんどいということをわかってほしくて毎度私にシフトの相談をしてきたのかもしれない。

自分が意を決して(大げさではなく)断ったことで、初めて相手の言葉の奥が見えた。自分がしんどい思いを我慢したまま動き続けていたら、この声には気づけなかったかもしれない。

そう思いながら、だからって我慢して続けていたら、きっと、いつのまにかやさしさから自己犠牲にすり替わってしまうのだ。自分の身を削り続けるやさしさは、絶対に長続きしない。


「してあげたい」を、自分にも向けてみる

この一件があって、気をつけていることがある。

「してあげたい」というベクトルを、まずは自分自身に向けてあげること。

自分が休む。

自分を甘やかす。

自分が好きなものを食べる。

自分がやりたいことを優先する日をつくる。

まずはそれが満たされてこそだと、最近ようやく思うようになった。

人を思う気持ちは、もちろん大切だと思う。でも、自分自身が満たされていないと、結局誰かにやさしさを渡すことなんてできない。自分をすり減らしながら人を支えることなんてできないし、健全じゃないのだ。

これまでは、後輩のメンタルが心配だから、今日は出勤したほうがいいかな…。と思うことが度々あったけど、いざ我慢してまで出勤することを断ってもなにも変わらなかった。

後輩から出勤依頼の連絡はなくなったけど、私が入らない部分は別の人で埋めているようだし、私の我慢は絶対不可欠なことじゃないということが身に染みて分かった。(そりゃそうだ)

物事を必要以上に自分の責任と捉えてしまうのはやめて、まず自分を満たしていて余力があることが、誰かへのやさしさを長く続けるための条件だと思っている。


あなたの「してあげたい」は、ちゃんとあたたかい

尽くしすぎる女の特徴、いくつか当てはまっただろうか。

もし当てはまったとしても、その気持ちを責めなくていい。「してあげたい」と思える人は、それだけで十分にやさしい人だ。

自分を大切にすることと、誰かを大切にすること。どちらかを選ぶ必要はない。

ただ、そのやさしさを自分に向けることは絶対必要で、自分が満たされてこそ、誰かへのやさしさが本物になるということは忘れちゃいけない。

言葉の選び方じゃなくて、その言葉を包んでいる気持ちの温度が、相手にはちゃんと伝わっているはずだから。

「種をまかなきゃ、始まらない。今日の一歩が、明日の芽。」という言葉と双葉の水彩イラスト
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