離婚後のリアル|「きつい」と感じていた私が変わるまでの2年間

柔らかい朝の光が差し込む窓辺にある、小さな双葉が出た植木鉢。 こころの種
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離婚したら楽になる、と思っていた。

でも最初の2年間は、想像とは違う「きつさ」があった。

お金の不安。実家での窮屈さ。一人でモヤモヤしていた日々。

今振り返ると、あの2年間は全部つながっていた。きつかった理由が、今の私を作っていた気がする。

悩むおタネ
悩むおタネ

離婚したのにこんなにしんどいの?って思った。楽になるはずだったのに…

この記事でわかること
  • 離婚後の最初の2年間がしんどかった理由
  • お金の不安も実家での苦しさも、全部つながっていた話
  • 「心穏やかに生きたい」という軸が導いてくれたこと

お金の不安は、誰にも言えなかった

離婚をする前に収入(生活)の目処を立てていたにも関わらず、離婚直後は予想に反して一桁台の収入だった。

コロナの全盛期くらいでお客さんも多いとは言えず、新店舗で働きだしたばかりでお客さんがいるわけでもなく、そこは計算外だった。貯金がじわじわ減っていくのを見ながら、頭の中をぐるぐるしていたのは「大丈夫なのか」ということだった。

子どもはまだ未就学児だった。食べたいものは我慢させたくなくて、子どもとスーパーに行くときはできるだけ食べたいものを買っていたけど、1人でいくときはかなり金額を気にして調整していた。

お金がないというと「考えなしに離婚するから」と言われそうで、誰にも言えなかった。(それにしても低所得の大喰らいの割によくやっていたな、と思う。)


実家に帰ったのに苦しかった。

離婚前の別居から実家に戻った。母は昔から干渉の強い人だったけど、一刻も早く夫と離れたかった私にとって、別居先として考えられるところは実家以外になかった。

実家に戻ったのは、一人暮らしをしていた母が病気になったタイミングだった。周りからは「大変なときに駆けつけてえらいね」と言われた。ご近所さんにも、良い娘扱いされた。

実家に帰ったから苦しかった。

でも本音を言うと、母の病気は離婚のタイミングと重なっただけ。お世話になる感謝と同時に、親の病気を別居の理由に使ってしまった後ろめたさのようなものはなんとなくあったから、母の代わりにご近所の会合に出席したり、ゴミ当番を引き受けたりして、付き合いが円滑になるように動いた。

それでも、母の干渉はやっぱりしんどかった。

私の信用がないのか、単にいつまでも子ども扱いしているのか、事あるごとに生活面でも子どものことでもあれこれ口出ししてくる上に、しなくていいということをやっておいて感謝を求めてくる。

おまけに実家に入る前は、「生活していく中での不都合は、生活していく中で話し合って決めていこう」という話になっていたのに、結局母にとってはあくまでも「母の家」なので、居候がなにをいっても家庭内のルールが変わることはなかった。(物の置き場や使い方など)

母ルールの自由のない家。母からの干渉。収入への不安。ちょっとしたことが積み重なってイライラして、ときにはケンカもした。

子どもと部屋にこもって過ごす休日、セミダブルのベッドで子どもを抱きしめて眠る時間、子どもと2人の時間がなによりの癒しだった。

母とぶつかることがあっても、仲良く過ごせる時間もあったことと収入面での不安があったことで、なかなか出ていく決心がつかなくて、なんだかんだと実家生活を過ごしていたあるとき、あれ、と思った瞬間があった。

それはまた母とぶつかったときのことだった。

子どもに夫とケンカしているところを見せたくなくて離婚したのに、実家に入ったことで今度は母とケンカしているところを見せている。これじゃ何も変わっていない。

そう気づいたときの、なんとも言えない気持ち。


実家に入った場合の児童扶養手当

ここで、児童扶養手当のお話を少し。

児童扶養手当とはひとり親家庭(母子家庭・父子家庭など)で育つ子どもを対象に支給される国の手当です。所得によって満額(全部支給)から一部支給、または支給停止のいずれかが決まります。


困るおタネ
困るおタネ

実家に住むと児童扶養手当に影響が出るって聞いてドキドキしていました。

ほたる先生
ほたる先生

実家に住むなどで同居する家族がいる場合は、家族の収入によっては扶養手当の対象にならないこともあります。住民票を世帯分離しても「同居」と見なされるので注意が必要。詳しくは市区町村窓口へ。

ちなみに、私の場合は実家は年金ぐらしの住民税非課税世帯だったので影響はありませんでした。

児童扶養手当の査定ポイント
  • 査定の対象は同居する扶養義務者(父母・祖父母・兄弟姉妹)の所得
  • 住民票を世帯分離していても、同居していれば対象になる
  • 扶養義務者が住民税非課税世帯であれば影響なし

離婚後のつらさはいつまで続いたのか

実家にいた期間は、丸2年ほど。実家を出るきっかけになったのは、「何も変わっていない」という気づき。

子どもに夫とのケンカを見せたくなくて離婚したのに、今度は母とのケンカを見せている。それに気づいたとき、ここにいるのは違うと思った。

もう一つ、当時付き合って1年ほどの人がいたことも少しだけ関係する。子どものことも可愛がってくれる人だったので、なんとなく再婚も考え始めていた時期。3人で一緒に過ごせる環境が欲しいと思ったことも、実家を出る後押しになったのは事実。

ただ、今思えば、再婚を考えだして「一緒に過ごせる環境が欲しい」とは思ったけど、「一緒に住みたい」とは思っていなかった。

心のどこかで子ども以外の人との「生活」は難しいことは感じていたのかもしれない。結局その恋愛は終わった。

どちらにしても、自分たちの場所が必要だと思っていたし、実家を出て子どもと2人で暮らし始めて、ようやく息ができた気がした。


全部の根底にあったもの

離婚前からずっと、私には「心穏やかに生きたい」という気持ちがあった。

でも日々の育児や元夫との関係性で、それが叶わない状況だった。離婚したのも、実家を出たのも、パートナーと別れたのも、後から振り返れば全部根底は同じだった。

私は心穏やかに生きていきたい。

自分の軸はちゃんとあって、その軸に沿って動いてきた結果が今だった。

物事が起こっているときは「なんでこんなに苦しいんだろう」と思っていたけど、自分の軸がはっきりした今はわかる。

苦しかったのは、自分が大事にしていることを大事にできていなかったからだったんだ、って思う。


子どもと2人になって、気づいたこと

木製テーブルに並ぶコーシーとココアが入った2つのマグカップと手書きのメモを描いた水彩イラスト

実家を出て、子どもと2人で暮らし始めたら、モヤモヤやイライラが激減した。

今でも余裕がない日があって、子どもに怒ってしまう日があって、やることが山積みでしんどくなる日もある。

でも、穏やかだ。

子どもとだけの空間が、生活が、ものすごく幸せだと感じる日々になった。

あのきつかった2年間は、自分の軸と今の幸せを気づくために必要だったんだと思える。


きつかったのは、自分の軸があった証拠

母親との同居はきつかった。申し訳ないけど、今もやっぱり長く一緒にはいられない存在だ。

でも、あのきつさがあったことでより自分の軸である「穏やかに生きる」ということについて考えたし、自分の軸を大切にするためになにを選んでどう動くかを考えることが出来た。

もし今、離婚後の「こんなはずじゃなかった」の中にいる人が読んでいるなら、自分の軸を見つめ直してみてほしいと思う。

「種をまかなきゃ、始まらない。今日の一歩が、明日の芽。」という言葉と双葉の水彩イラスト
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