友人と遠出したときのガソリン代や高速代にご飯代。
どう精算するか、悩んだことありませんか?
「ちょっとそこまで。」という移動と違って、ドライブ旅行などの遠出はけっこう交通費がかかりますよね。
そんなとき、私は基本割り勘派です。
ただ、同じ割り勘派でも「どこまでを割り勘にするか」は人によりますよね。
一般的な割り勘というと、この3パターンでしょうか。
- 人数で割る
→ ドライバーを含めて乗っている全員でガソリン代を等分する
例:ガソリン代が4,000円、4人で出かけたら1人1,000円ずつ - ご飯代と相殺する
→ ドライバーはガソリン代、同乗者はご飯代を払う - ドライバーに多めに渡す
→ ガソリン代は割り勘+ご飯は同乗者が払う
→ または、同乗者でガソリン代を人数割り+ドライバー分のご飯代を払う
(いわば「運転してくれてありがとう代」)
私は普段、②の「ご飯代とガソリン代を相殺する」割り勘派です。
①はドライバーも同じ額というのが悪い気がします。
③は単純に計算をすることが手間に感じるからです。(ズボラ笑)
なので、②の車を出した人がガソリン代を負担して、同乗者が食事代を負担する。
計算もいらず、シンプルです。
でも今回の旅行では、この方法がうまくいかなくて、モヤモヤしてしまいました。
今回は、20年来の友人とのドライブ旅行で、お互いに割り勘派だったのに、”私がシングルマザーという立場だったから、相手の気遣いに素直にありがとうを言えなかった話”です。
ご飯代=ガソリン代、になりませんか?
友人と、私の車で長距離ドライブ旅行に出かけたときのこと。
友人は自分の車の保険を確認してくれていましたが、楽しい気持ちが大きかったおかげか全く疲れを感じなかったので、目的地までの約6時間の運転は全て私がしました。
翌日も同じ理由で、運転はずっと私。
以前、お互いに「人の車を運転するのは怖い」と話したこともあって、運転の交代がなかったことに対して不満は何もありませんでした。
それでも友人はしきりと気にしてくれて、旅行中のお昼ご飯代(2日分)を支払ってくれました。

支払い時の押し問答が苦手なことと、お昼ご飯代は千円ほどだったので、お礼を伝えてありがたくごちそうになりました。
ちなみに、お昼は久しぶりのマイヒット!かつおだしが大変美味しいラーメン?中華そば??でした。
モヤモヤした理由と気付いた気持ち
後日の話です。
交通費の精算をする際に、「ガソリン代はお昼ご飯代とチャラで!」と伝えました。
しかし、友人は「お昼ご飯代は運転のお礼だから」と譲らず、結局ガソリン代はもらうことになりました。
この”ガソリン代をもらう”ことについて、なぜか私は素直にお礼を言うことができず、しばらくモヤモヤしてしまいました。
最初は自分でも”なににモヤモヤしたのか”分かりませんでした。
しかし、時間を置いて考えてみたら、そこには「シングルマザーの私」に縛られている自分がいました。
自分では気づいていませんでした。
【低所得のシングルマザーの私<世帯的に余裕があって理解のある夫さんのいる友人】
こんな式が私の中にあったんです。
だから、友人に多く払ってもらうことで「お金のことで気を遣われてる?」「経済状況を下に見られてる?」と卑屈に感じてしまったのです。
実際にはそんなこと考える子じゃないのに、勝手に“可哀想な人扱いされてるのかも”と思い込んで、みじめさまで感じてしまいました。
シングルマザーとか関係ない。「お互いにありがとうを出し合える対等さ」
実際のところ、経済的な格差は間違いなくあるけど、友人はいつでも、学生のときと変わらず接してくれている。
行動の意味は『ありがとう』を伝えたい、それだけ。
それなのに「対等じゃない」と勝手に線を引いてモヤモヤしたのは私でした。
穴があったら入りたいどころか、後方を埋めながらブラジルまでも掘り進めたいくらい!のTHE被害妄想。
これからの私は、素直に友人の素敵なところとして受け取って、感謝しつつ見習う。
そして、次からのお出かけではあらかじめ、「ご飯とガソリン代はそれぞれ折半、もしくはガソリン代とご飯代でチャラ」と伝えるつもりです。
経済的な余裕がないと、余計なことを考えてしまうというのは、きっとこういうことだなぁ。なんて反省をした話でした。
シングルマザーだからこその”心の持ち方・考え方”
正直、シングルマザーで収入も少ない私は、経済的に余裕がある家庭をうらやましく思うことがあります。
今回の件で、直接言われたわけでもないのに「私、可哀想に見える??」と勝手に卑屈になってしまったのは、その気持ちが影響していたのかもしれません。
友人は学生の頃から何も変わらず、ただ『ありがとう』を伝えたかっただけなんですよね。
それに気づいたとき、「シングルマザーの枠に一番囚われていたのは自分だった」とハッとしました。
深読みして卑屈になるより、素直に“ありがとう”を受け取れるようになる。
「これは相手のありがとうの気持ちなんだ」と思えたら、心が軽くなることも多いし、穏やかに生きる種にもなると思います。
きっと誰でも、余裕がなくて素直に受け取れずに勝手にモヤモヤしてしまうことってあるはず。
もしかしたら、同じように「ありがたいのに卑屈に受け取ってしまった」経験がある人もいるかもしれません。
“ありがたいはずなのにモヤモヤ”したときは、一度立ち止まって考えてみる。
立ち止まってみると、『これは優しさなんだ。』と気付けることかもしれません。
そしてそれが、穏やかな関係にしてくれて、自分の成長にもつながっていくんだと思います。
